私と
(この記事は前blogからの一部転載・修正したものです)
楽観的で陽気な子供と、悲観的で憂鬱な大人。
どちらも、私だと感じる。人間、二面性というのは当たり前に存在すると思う。明るい自分、暗い自分、外向的な自分、内向的な自分、対照的なそれぞれが天秤のように触れてバランスをとっているのだと。
でも、私の中では圧倒的に悲観的で憂鬱な大人のようなそれでもって大人じゃない存在が、無邪気で好奇心旺盛な子供を踏みつけていく。誰だって、そういうことを思春期に経験するのだろうか。
ずっと、そんな自分に傷つけられて痛みを感じる。精神的にも肉体的にも、常に痛みと悲しみがある。それがなんなのかよくわからずに度が過ぎた状態にまで、私は放置してしまった。
どこかわかっていても、ふと油断した瞬間に私は私であってそうでない気持ち悪いものになる。多重人格者ではない。ほとんどのことは覚えている、ただひたらすら矛盾した自分を確認する作業を、交代しながら繰り返す果ての無い苦痛が「解離性障害」だと思っている。でもこれらの状態を解離性障害というのかは確定診断を一度貰った身でも理解しがたい。医者ですら本当のところはわかっていないんじゃないかと思う。
この話は自分でもうまくまとめることが出来ない。境界性パーソナリティ障害の人が必ず解離性障害をもつかというとそういうものではないし、むしろそこまで多くない気がする。自分で自分の理解に及ばないのだから、症状の共有自体が少し難しいのかもしれない。
願うならば、こんな恐ろしい苦痛や虚無感から解放されたい。