今日も社会を欠席します。

重い鬱になったり、BPDと診断されたり、病院に通っても社会に出れなかった人のブログ

BPD(境界性パーソナリティ障害)と気分循環性障害(双極性障害)を抱えた無職(20代)の日々。母親は昨今で言う毒親、恋人とは共依存。

※BPDのメモ帳から一部記事を引っ越しました

地元が嫌い


 地元が嫌いなのは後ろめたいことがある、というわけでもない。
 恋人を連れてふらふら歩いていたりもするし、友人が全くいないわけでもない。最近はみんな忙しそうだけど。


 精神科に入院するようになり、大学に進学できなくなった当時は誰にも会いたくなかった。正直今でもあまり人に会いたくはないがそれは生まれつきの性格でもある。
 数年前から恋人の友人繋がりや元々の共通の友人とよく社交的に付き合えるようになった。ひきこもりといっても、多少は社交的なひきこもりになれた。


 そう、だから自信がないわけじゃないはず。




 よく自分は貧相な見た目なせいか変な人に絡まれる。


 この間も地元の電車の中で目の前に座っていた30代前後のスウェット姿の二人組の女にちょっかいを出されていた。いじめやすそうな見た目に見えるのだろうか。カラオケ帰りで耳が遠かったので無視を決め込むことは出来たが、その二人組の周りだけ席がいっぱいなのに誰も座ろうとはしなかった。というか私よりも年上であんな格好で出歩いている女性だから、精神科でよく見かける人の類なんだろうなとは思って我慢できた。自分もそういう点では中身は似たりよったりなのかもしれないのだから。


 それでも我慢できない、恐怖を感じたことがひとつ。
 その二人組が私の最寄り駅で降りたのだ。片方の肥満気味の女性は足を悪くしながら歩いていた。正直、障害年金か生活保護を貰っているような人なんだろうなと改札で駅員に何かを見せている様子を通り過ぎざまに確認した。


 こんな柄の悪い人が住んでいる地元が本当に嫌いになった。




 そしてここ最近また駅前の駐輪場に停めることがある自転車に尿をかけられていることがあった。防犯カメラもついていて人通りもあるような場所で本当にやったのか?と疑問もあったが、ここしばらくのおしっこ臭いと感じていた原因がわかって発狂しそうである。


 恋人にはやく部屋を探そうと焦らせたくもなる。
 こんな故郷ははやく捨てるべきなのだ。

なりたいもの


 今日は気付いたら通信制大学の取り寄せたパンフレットが来ていた。
 一応の大卒という学歴とソーシャルワーカーの資格が欲しい。去年も、一年ぐらいで十数単位だけ取っていたけれど、事務やサポートの教員の対応が遅かったり不愉快だったりで二年目の学費を払わず除籍扱いになっていた。


 来年から実家を出て同棲をしながら社会復帰というか、アルバイトでもすれば学費を稼いで通えるかなという淡い期待でパンフレットを取り寄せた。でも入学する為のお金も、手持ちの金銭が一銭もないので支払えそうにない。この先本当にバイトでも出来るかと言われたらうまくいかない可能性の方が大きいような気がしてしまう。


 何よりそこまでして大学を卒業したいのか? ソーシャルワーカーの資格が欲しいのか?
 私にはそれらは本当に必要?


 将来の夢も自分の至らなさと虚無感で簡単に無かったことにできてしまう。
 何かにやる気を出す私を、恋人は好きらしい。でも私は未だそんな人間にはなれそうにない。せっかく届いた通信制大学のパンフレットはごみ箱に放り込んでしまった。


 同棲だって彼が私を元気づける為のでまかせでしかないのかもしれない。
 落ち込んでも涙も出なくなってしまった。こころが再び空っぽになっていく気がする。

私と

(この記事は前blogからの一部転載・修正したものです)



 楽観的で陽気な子供と、悲観的で憂鬱な大人。
 どちらも、私だと感じる。人間、二面性というのは当たり前に存在すると思う。明るい自分、暗い自分、外向的な自分、内向的な自分、対照的なそれぞれが天秤のように触れてバランスをとっているのだと。


 でも、私の中では圧倒的に悲観的で憂鬱な大人のようなそれでもって大人じゃない存在が、無邪気で好奇心旺盛な子供を踏みつけていく。誰だって、そういうことを思春期に経験するのだろうか。
 ずっと、そんな自分に傷つけられて痛みを感じる。精神的にも肉体的にも、常に痛みと悲しみがある。それがなんなのかよくわからずに度が過ぎた状態にまで、私は放置してしまった。



 どこかわかっていても、ふと油断した瞬間に私は私であってそうでない気持ち悪いものになる。多重人格者ではない。ほとんどのことは覚えている、ただひたらすら矛盾した自分を確認する作業を、交代しながら繰り返す果ての無い苦痛が「解離性障害」だと思っている。でもこれらの状態を解離性障害というのかは確定診断を一度貰った身でも理解しがたい。医者ですら本当のところはわかっていないんじゃないかと思う。



 この話は自分でもうまくまとめることが出来ない。境界性パーソナリティ障害の人が必ず解離性障害をもつかというとそういうものではないし、むしろそこまで多くない気がする。自分で自分の理解に及ばないのだから、症状の共有自体が少し難しいのかもしれない。
 願うならば、こんな恐ろしい苦痛や虚無感から解放されたい。