今日も社会を欠席します。

重い鬱になったり、BPDと診断されたり、病院に通っても社会に出れなかった人のブログ

BPD(境界性パーソナリティ障害)と気分循環性障害(双極性障害)を抱えた無職(20代)の日々。母親は昨今で言う毒親、恋人とは共依存。

※BPDのメモ帳から一部記事を引っ越しました

毒親の時が70%、優しい時が30%

(この記事は前blogからの一部転載・修正したものです)


 母親という存在について書こうか迷った。
 私の母親は最近のキーワードでいう、「毒親」というものだから。ただこれを私が言っても、私が未だに若く反抗的であるからとか、少し過保護なだけとか、精神病を患う子供を心配して、みたいに言われる方が多いような気がして葛藤がある。


 私にとっては母親に違いない。違いないからこそ、母親の悪口を言えば、私は不出来な親の娘であるという十字架も負うことになる。尚更恐ろしいのは、私の母親には双極性障害の気質がある。ほぼその症状は一致する。突然出かけたかと思うと、大量の買い物をし異常なほどにテンションが高い、よく喋る、夜まで眠らずに掃除をしはじめることもある(私にも同様の行為を要求することさえある)。かと思えば、日中もよく眠る、怒りっぽくなり電話などの対応で怒鳴り散らすことさえある(大抵は私に怒りの矛先が向く)。



 本人の機嫌がよければ、非常に優しい世話焼きなよき母親である。ただそういう時も以上に自分の価値観を押し付けたり、悪意があると取られるような発言をする。



 私がBMIでいうと18ぐらい。大して太ってもおらず、通常量を食べていても……
「太ってきて顔が丸い。ブサイクだ」
 そう言われて食事を残せば……
「私のご飯が不味くて食べれないのか、恩知らず」



 少し布団の上で眠れずに困っていると……
「マスターベーションをすると馬鹿になるぞ」


 足や腕の無駄毛を身だしなみとして剃ったら……
「誰とセックスしにいくの? 淫乱だ」



 こんなことは言われてきたことの1、2割ぐらいの内容。
 母親は特段若いわけでもない、私を産んだのは40歳も過ぎてからのことである。体への虐待という虐待もない。むしろ歳の離れた姉と違い甘やかされていた気さえする。



 いつからこんなに言葉の暴力に晒されるようになったのか。いつの間にか? たぶん歳の離れた姉が出て行った頃がはじまりだった。 私はそれで気づいた。何故、姉がはやくして結婚しでていったのか。姉はこのようなことを言われたことがあったのだ。
 母の異常性に気付いていたのだと思う。
 だからか、助けを求めた時、最初は電話で対応してくれたものの母親に散々罵られあまりかけてこなくなった。私はそれを見捨てられたとさえ思った。私にはもうそれ以上頼れる大人や身内がいなかったから。



 これが私が精神的に病んでいった主因でもある。 でも本当にそれだけが原因でもないような気がして、母を糾弾することが出来ない。そういうことがあったから、私がパーソナリティ障害になったのかもよくわからない。でもこんな環境にあった。今もある。そういうことを少しだけ記しておきたい。

たまにメンクリに行きたくなくなる理由

(この記事は前blogからの一部転載・修正したものです)


 だんだんと通院予定日が近づいて、処方箋が0に近づいてくると、「あぁ、もう通院したくないなぁ……」と内心思ってる私がいる。病院に行くまでが面倒くさいとか、外に出るのが怖いとか、色々理由はある。


 一番最初にメンクリに通っていた頃は、自分が精神科に通院しているという状況を恥じていた。でも、そんな恥じより抑うつ感の方が膨らんでその理由はほとんど消えてしまった。ただ今でも、待合室に知り合いがいるかもしれないと考えると…… でもそんなこと、相手も同じだろうから。



 私にはそれ以上に行き難くなる理由がある。
 医者を常々裏切ってしまうから。頭の中で裏切っているというのか、嘘を吐いているというのか、それとも自分が自分に嘘を吐いているから医者にも嘘を吐くというのか。たまに自分でもわからなくなる。
 最初の頃に通っていたメンクリの担当医には、 「うつを治したい」からと言いはっていた。私はその1年後、症状が軽快した。けれど同時に自分の環境が変化しないことに苛立っていた。それは医者が解決してくれるはずもないものなのに。不満や苛立ちで薬の過剰服薬は当たり前になりはじめていたし、実際何もかもがうまくいってなかったのに、あたかも社会生活に溶け込んでいるような発言を医者に毎回のように返していた。ニコニコ受け答えるだけで、治療がうまくいっていると担当医は思い込んだり、少し眠れないと言えばその偽りの信頼感ですぐ処方箋を出してもらえた。悪循環だ。 その悪循環でついには医者と喧嘩をした。



 それから何度も私は、病院を転々とする。時期もあけて。


 したくてドクターショッピングをしているわけじゃない。でも自分に問題がある限り、医者とうまくいかなくなることが多々起きてしまう。
 病院に行くのは「自分のその悪い何かを治したい」のだけれど、医者にそれをうまく伝えることは限りなく難しい。治したいと思っては失敗をする。





 また通院日の随分前から全て無くなっている眠剤を見ては、病院に行くことを後悔してしまう。


境界性パーソナリティ障害(Borderline personality disorder)の話

(この記事は前blogからの一部転載・修正したものです)


 「BPD」とは、Borderline personality disorderの略。
 メンタルヘルスのジャンルでよく見かける「ボーダー」とはこの病気か、そうだと思われる人物を指して使われます。また、パーソナリティ障害は今まで日本語訳では、人格障害として訳され、治らない人格そのものの病気という印象が強く広まってしまいました。
 ※治すのは難しいが、治らないということではない。


 ただ、パーソナリティは全く変化しないわけではなく、人が乳児期から幼児期、幼児期から児童期、児童期から思春期、思春期から青年へと人生を歩むうえで環境や経験による変化が詰みかなさってパーソナリティにも色々な兆しが見えるようになります。
 元々のその人らしい性格はあるものの、 本来そういったものは少しずつ形成されたり無くなっていくこともあると考えられている「らしい」です。


 私がここで「らしい」と表現するのは、私自身が未だ自分の中のパーソナリティ形成に悩む境界性パーソナリティ障害を抱える一人であるからです。 個としての自分を20代前半で完全に手に入れている人はむしろ少なく、同じような悩みを抱える人は多いでしょう。ただ、その悩みの問題が明らかに表出し、生きににくくなった時、それを障害と呼ぶのだと思います。(例えば、自殺願望、心の虚無感、酒や薬など様々なものへの依存症、破壊衝動、思考や感情の不安定さなど)
 このブログでは、そういった境界性パーソナリティ障害の症状やそれによる自身や他者の経験談、自身日々の過ごし方(どうでもい日記的なもの)を書いています。