今日も社会を欠席します。

重い鬱になったり、BPDと診断されたり、病院に通っても社会に出れなかった人のブログ

BPD(境界性パーソナリティ障害)と気分循環性障害(双極性障害)を抱えた無職(20代)の日々。母親は昨今で言う毒親、恋人とは共依存。

※BPDのメモ帳から一部記事を引っ越しました

診察前の2週間振り返り


 今日は病院の診察に行くのですが一睡も出来ていません。
 薬を欠かさずに飲んだり、ODをしないようにと、細心の注意で頑張ったのですが……
2週間でもバルプロ酸Naの効果があまり出ず、加えてここ3,4年間眠剤と言ったら必ず出してもらったいたレンドルミン(ブロチゾラム)が何故か効かないのです。


 最初の1週間は期待に満ちて処方箋を飲んでいましたが、眠れない割には倦怠感と眠気が強く、一度寝始めたら12時間後なんていうのもざらで非常に困ってしまいました。
 気分安定剤が全く効いてくれないのはもう毎回のこと……
 いまのお医者さんではたぶんそのことに対応してくれるだけの技量はあまりなさそうなので、はやく引っ越し先に転院したいです。でも住民票がー 自立支援がー


 近々、引っ越しに際しての転院や自立支援の話を書こうと思います。

BPDと生き方


 BPD(境界性パーソナリティ障害)の方のブログをよく深夜に巡ることがあって、眺めているといろんな年齢のBPDの人を見かける。大抵の人は私より少し年上で、二十代半ばから三十代半ばぐらいの人が多い。頑張って探せば四十代ぐらいで寛解している方の古いブログなんかを見つけることもある。


 見ていて思ったことは、早く治る人もいればそうじゃない人もいる。
 パートナーとの共依存に悩んでいたり、理解あるパートナーを見つけた結果寛解に結びついているような人もいる。


 同じ病気と診断された人たちと自分は何が違って、何が一緒なんだろう。


 これから先を生きていこうと思った時に、色んな未来が重なって見える。
 ~~が出来るようになったから寛解したではなく、生きたいと思えるような自分を作り上げられたら寛解なのかもしれない。実際ゴール地点なんてどこにもないか、人それぞれどこかに向かっている。同じ病気の人で似ていても向かう先が全く同じなんてあり得ない。


 病気から離れた場所にひとまずの着地点を作れるまであと何年、何十年、私はかかるんだろう。

あたり前が出来た時に


 彼が家に来て、私の母親にこっぴどく人生観などを唱えられていると、大抵彼の凹んだ様子が伺える。彼には悪いけれど、普段実際に顔を合わせずに彼との言葉のやり取りをする私にとってはそれがとても新鮮だと感じる。よく毎日顔を合わせるカップルほど別れるなんて偉そうに言う人がいるが、要するにこういう発見が減って互いを見なくなってしまうことを恐れているのかもしれない。


 驚くほど彼は本心を曲げない、それは私もお互いさまで、私に至っては感情的にももっと激しいからある意味恐ろしい組み合わせな気がする。でも今までお互いに譲らずに終わってしまったことは少ないかゼロだった。最終的にはどちらかが譲るか互いに譲り合う。
 性的な気持ちで場に流されているのは若さなのか、それって当たり前の夫婦像なのか。
 これからもこんな風に生きていけるのか。


 ある一日の幸せでそんなことが考え付くだけ、まだうまくいっていると思うことにした。