今日も社会を欠席します。

重い鬱になったり、BPDと診断されたり、病院に通っても社会に出れなかった人のブログ

BPD(境界性パーソナリティ障害)と気分循環性障害(双極性障害)を抱えた無職(20代)の日々。母親は昨今で言う毒親、恋人とは共依存。

※BPDのメモ帳から一部記事を引っ越しました

お金の不安と負い目


 同棲準備にわくわくしながら住民票を取りに公民館まで行ったり、マイナンバーカードとこれから使うであろう履歴書のための証明写真を撮りに行ったり、簡単な買い物をしたり。ひきこもりにしては活動的に頑張っています。


 ただ彼と同棲のための話をしていると、彼は貯蓄が現状でもとても少ないようで棚や家電の一つ買うのさえためらわれる状況なのがわかってきました。お互い一人暮らしをしたことがないので、ゼロからすべて買いそろえたら大変だと思い最低限になるように考えています。それでも足りないかもしれないといった感じです。


 私は長い間ひきこもりで働いていなかったので、アルバイトをしていた頃の貯金はもうありません。その他の貯金も交遊日で3年の間に30万ほど全て無くなってしまいました。
 はやく熱心に治療をして、働く努力を必死にしていれば今回の引っ越し代や準備費ぐらいは作れたかもしれません。就労ができないぐらいにはやつれていたのですが、それを言い訳にするのも彼に対してなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。


 自分がお金を出せたらもっと不安にならずに済むのにと、どうしても責めてしまいます。
 そして、何故それがうまくいかなかったのかという原因を思い出しては、辛くなってしまうのです。


 もう少しだけ一人の時間と、治療の時間を貰えばよかったかもしれません。

親を信用できずに逃げ出すということ


 私がこれから同棲をはじめるということは、毒親という重い母親から逃げて環境を変えるということと同時に、困難になっていた自立を行う荒療治でもある。


 現在の私の精神障害の状態は日常生活をするには重いと自分なりにも感じる。障害者手帳を申請する際に2級が認められる程度かもしれない。今までの治療がうまくいかず通院をしなかった・できなかったということや、ひきこもりが長引いてしまったことで状態がどんどん悪くなってしまった。


 姉からも母からも引き留められた。週末だけの半同棲でいいのではと。でもその母の様子が最近おかしい、恋人の悪口を今まで以上に頻繁に言うようになった。ただその内容は実際と食い違うことがかなり多く、否定をすれば機嫌を非常に悪くする。
 母親が毒親であるという認識に私は変わりがない。でも別に母親としてすべてが間違っている人でもない。他人の母よりよくできたところだってある、半世紀以上を生きた人生の先輩なのだ。


 それでも母親から逃げたいと思った。たぶん自立をするという点でなにも私は間違っていない、でも母親にこのことで人格まで否定され罵倒される恐怖感がある。普通の母親は、子供の人格までは否定しない。そうやって育てることはあり得ないらしい。私はそれがおかしいと思うスイッチが壊れている。
 何もできない子であっても母親に寄り添い続けるのだと信じていた。酷いことを言われても自分を精神的に痛めつけることの方が多かった。
 ただ今思えばそれを見た母親はどうすればいいのかわからなくてパニックになって、また私を罵倒していたように思える。終わらない悪循環の環境を二人がかりで作りあげていたのかもしれない。


 いま「不安そのもの」から逃げ出したら私は後悔する。母親という存在から物理的に逃げるという選択を不安から勝ち取りたい。
 いつかこの決断がよかったと思える日がくると信じている。

OD癖と服薬管理


 再通院後、処方箋をのみはじめて3日ほどですが毎日の服薬管理は日々闘いです。
 デパケンの飲み忘れだけを避ければ、漢方薬と眠剤はサポート的なものなので治療としての服薬は大丈夫です。ただ私は飲みはじめの眠剤のシートを見つめる度に何とも言えない気持ちが湧きだしそうになります。眠剤はODをする薬としてはメジャーなのです。


 私には酷いOD癖がありまして、酷い時にはデパスを数百錠単位で個人輸入して一回に数十錠を飲んでいました。感覚がおかしくなるというか、少しでもつらいことがあると2~3錠、追加するように10錠といった感じで1日の服用量が単剤だけで30錠近い日も当たり前にありました。
 死にたくて飲むけど死ねないのは知っている。でも飲めば寝て、健忘なども起こり今の不快感自体忘れられる。
 その繰り返しで毎回、家族や恋人に大変迷惑をかけています。迷惑というのも色々で薬を飲んだままふらふら外出してしまったり、階段から転落したり、死ぬつもりがないODが案外死に直結するような大事になることがしばしばです。


 ODの恐ろしいところは一度やってしまうと、止めるということが自分でできなくなっていくのです。服薬管理が出来るから大丈夫だ!と自信満々に言っていて、一応家族が薬を預かっても、相当気分が悪いことがあれば外出中や入浴中、夜中にこっそり束で持ち去って飲み込んでしまうなんてよくあることです。慣れてしまうと20~30錠飲むのに1分もかかりません。


 ODをしない為に服薬を自ら辞めて通院しなくなる、ODを理由にされて処方箋を中断されたから通院をやめてしまう。どちらも私はやりました。しかし結局のところ、ODがなくなっても今度は手首にカッターの刃を当てたり、手の指を金づちや素手で殴打したりと別の部分にエネルギーが向くだけでした。ODを避けられても服薬していない時点で感情のコントロールが難しいので自然治癒はまずありえませんでした。


 この悪循環に陥った人は中々治らないと思います。
 私も治らずに、何回かわからないやり直しの通院中です。でももしODに悩む人がこの記事を読んでいるのなら、ODを避けて治療を続けることで生まれる社会生活の安定性は計り知れない治癒への一歩だということを伝えておきたいです。病院に行くという行為は社会への唯一の繋がりだったり入り口にも出口にもなっているからです。


 入口があったのだから出口に私はそろそろ向かう時期に来たと感じています。
 とても遠く長い出口かもしれませんが。