今日も社会を欠席します。

重い鬱になったり、BPDと診断されたり、病院に通っても社会に出れなかった人のブログ

BPD(境界性パーソナリティ障害)と気分循環性障害(双極性障害)を抱えた無職(20代)の日々。母親は昨今で言う毒親、恋人とは共依存。

※BPDのメモ帳から一部記事を引っ越しました

いつか止まる時


 気づいたら1年ほど経っていました。


 あれからやりたいことは何一つ終わらず、生きたいと思えるような力強さは失われていったように思えます。他人と関わることも極力避けながら生活しています。




 体力も衰え、精神的にも疲弊が強まっている中「精神疾患が寛解したら結婚できるよ」と彼に言われました。「ロボトミーでもいい、別人になってしまってもいい、なんでもいいから治ったらいいね」と答えました。
 その言葉に偽りは何一つなくて、それが悲しいぐらい自分を抉るのです。
 医者の治療が頼りないことが多く薬も効果を見いだせるものは処方されません。治したくないからそこに向かわないのではなくて、もうそこまで辿り着いたとしても叶えたいことを叶えるだけの余力が私にはないのだと気付いてしまいました。


 眠ろうとすると瞼の裏に居ないはずの者達がまるで待っていたかのように目の前に座っていて何だか待たれているようです。


 ある時を境に、かなり念入りな自殺企図は止めてしまいました。
 3度とも助かったからとも言えますし、失敗する度に死ぬよりも辛い目に遭っていました。それは医療的な処置のことではなくて、母親との関係や恋人との関係を盾にそれぞれ脅されていたからです。それは自殺をしないという治療の契約だったのかもしれません。
私はそれを守りさえいれば治るとどこか信じていたのかもしれません。
 または死ねなかったからそれを恐ろしいと思ってしまったのかもしれません。本当に固い決意で死ぬことを考えれば今認知し得る恐怖など関係ないということを忘れていたように思います。


 いつだか、ある知人にSNSで「本当に死にたければ死んでいるはず」と言われました。その場ではだらだらと生き延びることに意味があるように諭してしまいましたが、実際はその言葉何よりも正しいと今でも感じています。
 死への渇望は結局どこまでも終わることなくぬるい幸福の中にうまく忍びこんでいます。いつかはそれを確実に選びとる私以外に信じられるものはないのかもしれません。

将来を描けないまま私は大人になった


 彼と最近こんな話をした。
 同棲をはじめてこのままいつか結婚をする日がくるのだろうかとか。
 二人の間に子供がいたりするのだろうかと。


 ちょうど同じ日にこんなことを言われた。
 君みたいに毎日何もしないで過ごしたいと。


 だから私はこう答えておいた。
 私の今の気持ちのようにこんな日々を過ごしたら、あなたは3ヵ月や半年もしないうちに自殺してしまうかもねと。
 結局彼は家にいても君がいるから毎日幸せだし大丈夫と言った。




 私の人生には叶えたいことがない。
 家族も所詮他人だから、増えたところで面倒で、私を認める人なんていないだろう。
 激しい怒りややるせない気持ちが私をきっとわが子を虐待するような行動においやるだろう。




 私は何のためにご飯を食べて、汚れた体を洗って、生きているんだろう。
 人間らしくありたい、動物らしくありたい。
 涙を流したり怒ることだけが、今の救いだと思う。


 それでも生きていることを辞めたい。

調子の悪い季節

なにか生きがいや趣味が欲しいのに何もできない日々を過ごしています。正直かなりつらいです。


鬱が重くなってきて布団から出れない日々で、このブログの在り方もどうしたらいいのかと考えています。自力で通院できている間は頑張りたいと思います。