今日も社会を欠席します。

重い鬱になったり、BPDと診断されたり、病院に通っても社会に出れなかった人のブログ

BPD(境界性パーソナリティ障害)と気分循環性障害(双極性障害)を抱えた無職(20代)の日々。母親は昨今で言う毒親、恋人とは共依存。

※BPDのメモ帳から一部記事を引っ越しました

新年は気分乱高下に注意!


 新年あけましておめでとうございます。


 私はここ数年、年越しになるとテンションが高くなりすぎてしまうことが多いです。どんな人でもテンションがあがる、それが大晦日、正月なら当たり前のこと。でも自分の場合はテンションがあがりすぎた結果、落ち込んで怒ったり泣いたりということがあります。出来るだけ年始からそういうことは避けたいものです。


 これから1年、細々とブログを続けられるよう頑張りますのでよろしくお願いします。

BPDといま


 私はもともと中学生の頃にうつ病と診断され、高校生の頃に寝たきり一歩手前の中程度のうつ病と適応障害と診断されていました。重いうつ病になってから過剰服薬と入退院を繰り返すようになります。


 その後も色々と医者を転々としながら、双極性障害や解離性障害、統合失調症、境界性パーソナリティ障害、社会不安障害などと診断されてきました。
 今年の初夏も一時期メンタルクリニックに通院していたのですが、処方箋のODが止められないことなどから処方箋を貰わなければいいのだと再び通院をやめてしまいました。そのクリニックでは、境界性パーソナリティ障害には見えないと2回ほどの診察では言われたのですが、3,4回目の診察ではおおよそそうだろうという反応に変わっていました。


 現在うつが重いかと言われると、入院をはじめた4、5年ほど前に比べればはるかによくなっています。ただし、感情の起伏や思考はBPDの症状がメインです。
 以前に比べて憂鬱になる原因が環境ではなく、「まとまりのない何か」になってしまいました。
 いまは通院も服薬もせずに、ひきこもり状態であまり人と接触したりストレスを避けることでバランスを取っています。




 そのひきこもり状態も、転機を迎えます。
 来年度から、実家を出て同棲する予定です。重たい母親と距離置けること、自立して家事をすること、出来たらアルバイトや就職をすること。
 どこまで出来るのか、彼との共依存をよい方向にもっていくことができるのか。恋人が言っていた通り、人生の岐路がBPDの寛解につながることをひっそりと期待しています。


木偶の坊のはなし


 幼稚園に入る前からの幼馴染というか私の好きな友人が泊りがけで遊びに来た。友人・知人を恋人以外で実際に泊めたのは何年ぶりかもわからない。そもそも友人を家に泊めたことがあっただろうか? 記憶にない。それぐらい珍しいことだった。
 たぶん私がこんなぐーたらした生活をしているのは、昔の私を知る人からしたらちょっと怠け者に見えるかもしれない。


 昔は頑張り屋ではないが、向上心と好奇心に満ち溢れていた。その延長線で細かい作業のいる創作物を作るのが得意で人に喜んでもらえたり褒められたり、ちょっとした自慢だった。
 けれど性格や生き方が不器用過ぎた。結果、すべてに手がつかなくなってしまったのが今の自分だと思う。遊びにも注力出来なくなったころから、得意だった勉強も手つかずになった。


 思い返せばあれはうつの症状だった。
 でも今の私はうつだろうか? たぶんうつを乗り越えてちょっと違う段階に到達した。うつじゃないなら、もっとがんばれるはず。その気持ちが私を明るくさせようとして、突き落としていく。


 頑張らなければ責められる。逃げ場がない。
 もう一度諦めたら今まで頑張れなかった分のツケがもっと増えていく。


 幸せの為に私はどこまで自分を無理強いできるのだろうかとかしか考えることができない。
 うつじゃないにしても、不器用なままの性格や生き方がすべてを阻んでいく。




 倒れるまで頑張って消えられるような人になりたかった、今からでもなれるだろうか。